その歴史と日本との関わり
19世紀に入ってヨーロッパではロマン派の音楽が盛んになり、パイプオルガンも表情豊かに強弱をつけられる大オルガンが建造されました。
そのような中、大劇場だけでなくサロンや家庭でも楽しめる、強弱のつけられる楽器が求められました。試行錯誤の末、音程を変えずに連続して強弱をつけることが出来、小さな音源ですむ自由振動リードが考案されました。
(リード)
ドゥバン(Debain)がハルモニューム製作に成功、1842年に特許を申請しました。 ハーモニカやアコーデイオンも同じリード楽器です。ハルモニュームは、足踏みで起こした風をリードにあてて音を出す「吹き出し式」の仕組みになっています。足踏みが非常に難しいです。長く音を伸ばす時など足踏みで起こした風が一定でないと音が揺れてしまいます。但し細やかな表情・強弱をつけることが出来ます。
ハルモニュームが家庭やサロンで盛んに使われるようになると、足踏みの難しさをなんとか改良できないかということで、貯めてある空気を足踏みでかき出し、戻る時の風をリードに当てる「吸い込み式」のリードオルガンが開発されました。つまり加圧(プラス)の風を減圧(マイナス)の風に替えたのです。
ハルモニュームのような繊細な強弱はつけられませんが、足踏みは数段楽になりました。
ヨーロッパで生まれたリードオルガンは、アメリカで奏法の容易さから教会や家庭で使われるようになり、より多く製造されるようになりました。エスティー社、メイソン&ハムリン社etc.、多くのリードオルガン製造メーカーが生まれました。
(Estey社のリードオルガン 1899年製造)
明治初期、多くのアメリカの宣教師がキリスト教の伝道のためリードオルガンを携えて来日し、リードオルガンは教会やミッションスクールで使われました。
一方で、明治政府が新しい教育制度により西洋音楽を取り入れた音楽教育をすることになり、高価であったピアノの代わりにリードオルガンが伴奏楽器として使われるようになりました。当時、西洋音楽はキリスト教の宣教師を通して入って来たので、唱歌は讃美歌の影響を強く受けています。 讃美歌がそのまま唱歌のメロデイーになったものもあります。(最初期の唱歌は91曲中15曲が讃美歌のメロデイー)
文部省の音楽担当者は宣教師から西洋音楽を学んで影響を受け、そのほとんどがクリスチャンになっています。
宣教師が携えてきた讃美歌が日本の西洋音楽の始まりといえましょう。
こうして唱歌を歌うためにリードオルガンが小学校に備えられ、ある年代までの方は各教室にリードオルガンがあったことを覚えておられることでしょう。
代表的な日本のリードオルガン製作者としては、明治初期に三味線職人であった西川寅吉が明治18年、リードオルガン製造会社を設立し、山葉寅楠が明治20年、リードオルガンを製作しています。
写真左より
リードオルガンはリードさえ揃っていれば半永久的に使用可能である。
痛んだものは修復可能である。
弾き続けること…絶えずリードに風を通すことで楽器が育ち壊れることが少ない。
長い間弾かないオルガンはいろいろ故障を起こす。
(文:伊藤園子 / 写真:喜多村みか *2枚目リードの写真を除く)