プロデューサー・インタビュー

荒木 真 (Reed Organ Hymnsプロデューサー)


――今回のアルバム制作に至った経緯は何でしょうか。

荒木:それはやはり感動が原動力というのに尽きます。園子先生のリードオルガンを聴いたとき、歌のように呼吸が乗った演奏に本当に驚いてしまった。興味深いことに、サクソフォンを吹く私や、フルート奏者など、管楽器奏者たちが一番感動していたかもしれません。

――管楽器奏者たちが驚く(笑)。たしかに鍵盤楽器は押せば音は出てしまうので、息を使わず指先で弾いてしまう人も多いと言われますね。弦楽器もですが。

荒木:園子先生の演奏はたしかに異次元でした。そして実際にアルバムを作ろうかという段になって分かったのは、リードオルガン(足踏みオルガン)のことは多くの人が知っているのに、流通しているCDが極めて少ないということ。そして、演奏家である園子先生と修復家である信夫先生のようなご夫妻がいかに不世出の存在かということも分かってきて、これはどうしても世に残さねばと思うようになりました。

Sonoko Ito REED ORGAN HYMNS

(伊藤信夫・園子夫妻)

――たしかにAmazonなどで検索すると、リードオルガンがメインのCDというのは数枚しかありませんね。部分的に使われたものは色々あるのでしょうけれど。このアルバムには19曲の讃美歌/聖歌が入っていますが、どのようにして決まったのでしょうか?

荒木:園子先生はもちろん讃美歌/聖歌以外にも沢山のレパートリーをお持ちで、曲決めの段階で色々弾いて聴かせて下さいました。その中には、笙やアコーディオンを模したものや、有名な讃美歌に「きつい」ハーモニーを付けて複雑にアレンジしたものなどありました。それらはコンサート・プログラムの中であれば演奏効果があり楽しいのですが、録音物として聴くとどうかというのがありました。

――今の、PCで色々な人の演奏を一気に並べられるような聴き方は、演奏会の空間とは明らかに違ってきていますね。

荒木:そうなのです。そのような聴き方をしたときに、皮肉も感じさせる変化球的なものを、自分もリスナーの皆さんもですが、初めの1、2年は楽しいかもしれないけれど、もっと長きにわたって愛聴できるかという懸念がありました。

――最終的に選ばれた讃美歌/聖歌とはずいぶん乖離がありますね。「きついハーモニーをつけた讃美歌/聖歌」というのは気になりますが(笑)。

荒木:それは演奏会の中でお聴き下さい(笑)。それらももちろん良いのですが、結局のところ、ごく普通の讃美歌を弾いて下ったのを聴いたときが一番心に染み入りました。素朴で奇をてらわず、時代のふるい――ものによっては千年を超える――にかけられながら大勢の人々に支持されてきたメロディとハーモニーの完成度というのは、超えがたいものがあります。園子先生の讃美歌演奏を聴くと涙する人も目にします。ご自身がキリスト者で讃美歌が血肉となっているというのもあるかとは思いますが、シンプルな楽曲だからこそ演奏者や楽器の魅力もより素直に伝わってきて、これこそが録音として長く聴きたいものだと思いました。クリスチャンの方もそうでない方も、純粋に楽曲としても楽しめるものになっていると思っています。

――そのようにして決まったんですね。ただ、讃美歌/聖歌といっても無数にありますよね?1,000曲以上調べて選ばれたとか。

荒木:日本で広く使われている本があり、それをひたすらチェックしました。

――時代も国も広範で、色々な曲調がありそうですね。

荒木:はい。たとえば『讃美歌21』には、20世紀後半の曲でボサノバのベースラインのような書き方をしているものもあったり、今回は残念ながらその曲は曲調が浮きすぎていて収録に至らなかったのですが(笑)、面白い曲もたくさんあるのを知りました。

――楽しそうな曲ですね(笑)。どこかで聴いてみたいなあ。今回収録された楽曲の中でも特に面白かったもの、思い出深いものはありますか。

荒木:たとえば中世の聖歌は、本来は和音の無い単旋律の世界で、9世紀ごろからは4度や5度も協和音にする流れも出てきますが、V-Iのような「終止」の形を持つというよりは、旋法(モード)の世界ですよね。他方で現代の本ではオルガン演奏や合唱用に和音が付けられています。もちろん普通に3度を協和音と扱う和声です。特にプロテスタントの『讃美歌(第一編)』(1954年)、『讃美歌 第二編』(1967年)などでは、中世の旋律に18~19世紀風の和声が付けられた形で収録されていて、当然、賛否両論はあるようですが、個人的には、旋法(モード)を基本にした中世の旋律と、後代に付けられた「終止」を多用した近代的和声とによる、ある種の「せめぎ合い」が、非常に興味深いと思いました。

――元の旋律と和音とで時代が違ってくるんですね。ある意味、キリスト教音楽の厚みゆえの出来事のように感じます。

荒木:かなり細かくV-Iしていて、ジャズでいうビバップのような感覚になります(笑)。モードにこれをつけるのかと。ただ、とても美しいんです。逆に、後に出版された『讃美歌21』(1997年)では、オリジナルを尊重するということで、中世の楽曲については小節線を付けない状態や、単旋律で収録されることも増えていますね。

――絶えず検討されているんですね。具体的にはどの曲になりますか?

荒木:「久しく待ちにし」(VENI, VENI, EMMANUEL)です。これは園子先生のアイデアで、最初は「本来の」単旋律で弾き、徐々に声部を追加してゆくという楽しい演奏になっています。

――終止を多用した声部(笑)。

(VENI, VENI, EMMANUEL)

荒木:もう一曲思い出深い曲を挙げるとすれば、「降誕のキャロル」(NATIVITY CAROL)でしょうか。これは、カトリックの『典礼聖歌』『カトリック聖歌集』はもちろん、プロテスタント系で最も広く使われている『讃美歌』『讃美歌 第二編』『讃美歌21』にも収録されていないんです。音で聴いてすごく良い曲だと思ったけれど初めは曲名がわかりませんでした。園子先生にうかがってみたところ、10年くらい前のクリスマスで歌ったことがあるとのことで、一緒に教会に行き、過去のプログラムなどに当たったのですが、それでも判らず。さらに探すに探した結果、『教会福音讃美歌』という讃美歌集に収録されていました。
曲名が判ってからは早くて、John Rutter(作曲者)の元の楽譜にも辿り着くことができましたし、YouTubeなどにもたくさん出ていますね。もしかしたら讃美歌の収録事情も影響しているのか、日本では他の有名クリスマスソングほどには知られていないようなのですが、英米圏では大変有名で人気のある曲のようです(編注:作曲者John Rutterは英国人)。今回のアルバムを通じて、自分がそうであったように、この曲に出会う人が日本で少しでも増えたら嬉しいと思います。20世紀に作曲されているので、ハーモニーも洒落ています。

(収録のきっかけとなったNativity Carol。ダブリンの教会で演奏されている。)

――まさに執念の捜索ですね(笑)。

荒木:園子先生と一緒に教会へ曲名の分からない楽譜を探しにいった、その時の教会の景色や空気は、おそらく後々まで忘れないであろう、思い出深い記憶になりました。

(聞き手・編集:田中信彦 / 写真:喜多村みか)


荒木 真 ARAKI Shin
プロデューサー、サクソフォン奏者、コンポーザー。
自身のアルバムほか、あいみょん、Exile、東京フィルハーモニー交響楽団など、ジャンルを超えて録音や編曲で参加。
ファッションショーや広告音楽でも数多くの制作に携わる。
http://arakishin.com/

other dialogues